エピローグ

エピローグ

   1
 裁判でラスコーリニコフは犯罪を認め、その詳細を語った。犯行が二人の老婆を殺めるほどの凶悪であったにも拘わらず、奪った金に手をつけず、かつその額を明瞭に憶えていないという事実は犯罪が別種のもの、つまり病的な事情によると結論され、かつ自首のこともあって、刑は寛大なものとなり、8年の懲役刑となった。
 また肺病の学友とその父を助けたこと、ある火事の際に子供を助けたことが刑の軽減に寄与した。
 母プリヘーリャは息子のことをあれこれ訊かなくなった。それは彼の境遇について彼女自身がある物語を作ったからであった。ドゥーニャは母の頭が健康でないことを知った。
 ラスコーリニコフは流刑地へ発った。二人の間では言葉では確に交わされはしなかったが、ソーニャは当然のこととして彼に従った。
 ドゥーニャとラズミーヒンは結婚した。彼らは後のラスコーリニコフらとの生活を計画した。
 プリヘーリャは亡くなった。熱にうかされた話から息子の恐ろしい運命を察知していることが分かった。
 流刑地とペテルブルグとの間の通信はソーニャを介して行われた。ラスコーリニコフは自分の境遇を理解し、将来の希望を持とうと思わなかった。彼らは日曜、祭日に監獄門の傍で、また平日には彼の労役の場で会った。しかし、彼の彼女に対する態度は決して優しい思いやりのあるものではなかった。
 ソーニャは仕立て物などをして暮らした。彼は監獄内で他の囚人から嫌われた。彼は病気になった。

   2
 ラスコーリニコフは労役や食べ物などには苦しまなかった。彼が恥入ったのはみずからを罰することなく、盲目的に運命の判決を屈服したことであった。ソーニャにさえ恥じ、彼女に乱暴な態度をとった。運命がもし彼に悔恨を与えていたらいかばかりか喜んだか知らない。しかし彼は犯罪を悔いなかった。己が過去の行為をそれほど醜悪愚劣なものとは考えられなかった。悪事であれば自分の首をはねればよろしい。みずから権力を取った先人は自己を持ちこたえられたが故に正しかったのであって、ラスコーリニコフ自身は持ちこたえられなかった。持ちこたえられずに自首した、この一点だけに自分の犯罪を認めた。
 スヴィドリガイロフが為し得た自殺が出来なかったことにも苦しんだ。
 囚人たちはラスコーリニコフを、彼にはその理由は分からなかったが、しまいには憎むようになった。一方ソーニャは彼らに愛され、彼らの母のように見られることもあった。
 ラスコーリニコフは病気になった。熱にうかされつつ、夢を見た。微生物による疫病が広がり、病にかかった人々は自分のこと、自分の信念のみを正しいと思うようになった。人々は不安におののき、互いに理解できない社会となり、亡びていった。
 彼の病が癒えると、ソーニャが風邪にかかった。ラスコーリニコフの心に彼女のことを心配するという変化が起こった。それは夢の中の出来ごとも影響していた。
 ソーニャの病が癒えた後、彼らは川岸で会った。その時、彼らの運命に大きな変化が起こった。彼のこころに今までとは違った将来への希望が、ソーニャとともに生きる希望が宿ったのである、彼らにはまだ7年の流刑の生活の日々があったのではあるが。